http://www17.ocn.ne.jp/~stillife/
はななさんの掲示板より

こちらは、”想念観察をするとなぜカルマが消えるの?”
という質問を掲示板上で尋ねられたのを契機に、
はなな ななさんが ご自身や知人達の体験をもとに
想念観察のエッセンスを書き起こしたものです。
スピリットや情報を提供してくださった方がたの助力で
生まれてきたものです。
許可をいただきましたので、こちらにも転載していきます。
えり


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想念観察とカルマ その1 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 7月18日(水)11時43分44秒    編集済
ざっくり申しますと、想念観察をしていないと、過去の連続を生きています。
カルマとは、過去に行ったことが原因となって、未来に結果をもたらすということですが、この場合、時間の流れは過去から未来へと一方向に進みます。

人生には大きくいって、二つの流れがあります。過去の連続からくる運命と、それに加えた全く新しい人生です。

想念観察は今の自分に焦点を合わせます。

今何をして、今何を考えて、今何を感じているのか を知ることは
《今》の自分に焦点を合わせます。


これがなかなかできていない。ほとんどの人は今にいないで、過ごしています。
例えば、大根を切りながら、明日のテニスの試合の心配をしています。

ご飯を食べている時、
今何を食べているの?と自分に尋ねてみますと
今日の失敗を悔やんでいたり、明日のプレゼン資料のことを気にかけていたり、
今から離れていて、食べ物の味わいなんて、上の空です

それでは野菜に失礼です・・・ちょっと話がそれました・・・・


今、何してるの?今、なにを見ているの?今、何を感じているの?
もうひとりの自分が常に自分に問いかけることで
さまよえる想念を観察することで、自分をもっと知ることができます

こうして、さまえる自分を今に戻します

どんなに頭に血が上っても どん底で悲嘆にくれていても、
もう一人の自分をしっかり働かせて捉えていれば、ちゃんと戻れます


これがうまくいくと、今ある自分が100点満点であること、
今あるありのままの全てを、肯定できるようになります

今はこれでいいが、3分後の自分は分からない・・・

《今》にいると、こうした新しいスタートラインに立てます

全方向の未知なる可能性のある地点です そこに 奇跡の扉もあります

扉の向こうは前途洋々です

全てを肯定する 例外なく です
たとえ病気でも、最悪と思われる状態であろうが、明日をも知れぬ命であろうが

今はこれでいい  100点満点だから 存在していて ここにいるんだ

病気を例にとるとわかりやすいでしょう
今こんな状態であるから 3日後はこうなって 1週間後はこうなって 1年後はこうだろう
・・・すべての過去を見て、それとともにあって、未来を見るので予測がつきます
こうした過去からのデータで予測がつきますし、それに乗っ取ればそれにそって進みます
(だから占いは当たるんです)

今安定している人よりは、本当にじたばたしてどうしていいかわからない人は、《今》という、この奇跡の転換を取り入れやすい位置にいます

最悪は最大のチャンスです 普段なら見逃してしまうことが、ひしひしと感じられます


。。。というあたりで、今日はこれまで。。。。

(追記しました)


想念観察*責任を果たすことと 悔やまれる過去について 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 7月31日(火)00時45分38秒    編集済
自分の責任を果たさないで 逃げ続けることは 苦しいことです

何をすべきでないかを 本質の自分は知っていますから 苦しいのです

生きるということは 本当はこうである と知っていることについて
自分の精一杯をつくすのが 基本です

無理が通れば 道理は引っ込みます

自分の役割を放棄した時、
誰かが あなたの代わりをやってくれているのです

悔やまれる過去があるならば 優先順位一番から まず 行動を起こすことです

もし あなたが心残りがあるのなら
今すぐその人に会いに行って そのことを謝ってみるのです

「もしあなたが そのことで 大変苦しまれたのならば その責任はわたしにあります
責任はわたしがとります。」と。

彼は 謝る必要はない、いえいえ、とんでもない わたしこそ謝りたい
となるかもしれませんが、相手の反応にかかわらず、
気づいたら行動することが大切です


もう逃げないのです。

すぐに行動を起こして、会いに行けないのならば、手紙にします。

相手の所在がわからず連絡が付かない場合は、紙に書いたり心で祈って伝えて
最大の努力をするのです

にもかかわらず、自分の想いが届かないこともあるでしょう

でも、最大の努力で行動することで あなたは二度と同じ間違いを起こさないと心に決めるでしょう。。それ以上どうしようも無いことであっても、その決心によって事は完了するのです。。

まずは 行動を起こすことです

そのことが、どんな奇跡を産むかは、やってみた人だけに わかる
そういうことって あるんですよね。。
>深刻な不安 (追記しました) 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 7月31日(火)12時14分34秒    編集済
○○さん 想念観察が進んでくると その人が最も恐れている核心に近づいてくることがありますね

そこから見ると、創造へと向かうのはとてもかけ離れていて無理だと思われる場合もあるかもしれませんが、こんな風に転換することもできます・・・

想念観察が進んでくると その人が最も恐れている核心に近づいてくることがあります
でも、その核心を観ているのなら、ただただ 何も今解決する必要はありません

ただ その不安、恐怖がどのようなものなのか 知る必要があります

形 大きさ 重さ

それを 視点を変えて できるだけ正確に 知っておく必要があります

そして 常に あなたは あなたの恐怖心とともに

それから目を離しさえしなければ 良いのです

ずーっと 注目しているのです

次の瞬間には 形が変わって見えます

次の場から見たときには、また 違って見えます

常にそのものから 焦点を外さなければ

必ず おやっ と見える時が来ます

その時 もう一度 よく観察するのです

今まで 恐怖だったものが 全く違ったものであったことに 気がつくでしょう

でも この変化を知るのに そんなに長い時間はかかりません

ひとつの恐怖が解放された時 あとの恐怖を解放するのはとても簡単になります

これもやはり 知るということなんですねえ。。

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例えば あなたは 人からすがられることを恐れている とします
でも あなたは自分では その恐れに気づいていません
代わりにあなたは 身近なある人を 自分にすがってくる 嫌な人だと思っているとします

でもこれは 自分が決めているだけなんです あの人は、そのような奴だと
時が経ってその人がどんどん変化していても、あなたにとっては、過去のその時以来、
変わらずに嫌な人だと映ります あなたはその人にレッテルを貼って決めつけてしまっているんです

このときあなたは すがられることを恐れている自分の目で 相手をみているのです

自分の恐れを見つめた時
その嫌な人は 自分とは全く独立した存在で 自分と同じ思い(すがられるのが嫌 など)を持った人であった ということが見えてくるのです

これを知った時、あなたは相手の人に、あなたにとってかけがいのない 親しさを感じるでしょう

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手を出してはならないとき 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 8月 3日(金)14時25分59秒    編集済
目の前にいない人の心配をすると
見えない未来まで 見えないところまで 心配すると
その想いが相手に飛んでしまいます かえって迷惑なだけです

見えないところは 大きな計らいからすると ちゃんと上手くいっているので 心配しないこと・・・最近 これがようやくできるようになってきました

精一杯 親孝行をしたり 動物を保護したり 相手につくすのも大切ですが
手を出してはいけない時もあります
それは そうした助力を出来る人にとっては 新たなる課題かもしれません

ある人が 例えばですが、これに合格すれば天使になれるという試験で あえてその状況を選んで体験しているとして いよいよクライマックスで、ものすごく苦しいような状況にみまわれているとしても
その時 自分で超えていくのを見守るかわりに 部外者が助け船を出して その体験の機会を奪ったために、その試験は台無しになって
「惜しいところでしたねえ、あと一息というところであなたの○番目のお子さんが手を出したので・・・・・・残念ですが、また最初からやり直しですねえ・・・」
なんてことになったら 一生かけてきたものを 台無しにしてしまっては、申し訳なさすぎます

関係が近ければ近いほど 人は冷静に観れなくなってしまうものですが
そんな時ほど 気を強く持って

相手の底力を信じて、その決定を尊重する ひとりひとりが独立した存在ですから

自分の分を知って バランスを保ち 深入りしすぎないで エネルギーを漏らさないことも 時に必要な心得でしょう

この辺の距離感と見極めが 最初はなかなか つかみにくいのですが やっていくうちに
みえてくることがあります

一本の糸につかまって、地獄の底に落ちていくのを抵抗している人に 守護天使が 「うんうん 苦しいですね とってもわかりますよ」と言いながら その糸をぷっつんと切る。。。あれぇえぇぇ・・・・
これができる人は そうはいないでしょう 誰もやりたがらないその役を 引き受けることができるのは 光を知っているからで、ほとんどの人にとって 地獄の底にも光があるとは 想ってもみないことでしょうから・・
想念観察*今を生きる 〜車の運転編〜 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 8月22日(水)21時53分29秒    編集済
興味のあることをやっている時
集中して 大好きなことを やっている時

例えば
無心で 絵を描いていて
思わず知らず 色の中に ただ漂う時

何が起こるかわからないけれど 上手くいく
そんな ”今”の 奇跡の扉が
すぐ近くに開いてます

ひとつのことをやり続けて 始まりに入るコツとして、
例えば 車の運転では こんな風に体感することもできるようです

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車の運転をしている時、車の天井に潜望鏡を立てて
一台先の車を見るようにします

天井からの景色 屋根の上からの景色を見て、
一台先前が見えたら、もう一台前まで、
それも見えたら、さらにもう一台先へ・・・

潜望鏡を立てて 何も考えないで ただただ
アクセル、ハンドルの感触
車の振動 エンジン音、、、

ルンルン気分で 他のことは何も考えずに
ただ車に乗って 感じているんです

すると 奇跡はどれだけでも起きてくる

そんな時は 必ず先に待ち受ける検問もわかってしまうんだとか・・・

車の運転で ”今”の奇跡をつかむコツを体得する・・
運転出来る方は ぜひお試しあれ!

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浦島太郎の時間*想念観察 〜時間編〜 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 8月25日(土)10時13分0秒    編集済
遅刻するはずの遅い時間に家を出たのに、何故か定刻通り会社の席についている..
寝坊してしまい、どう考えても待ち合わせに遅れるはずなのに、何故か約束の時間に間に合っている..

こんなタイムスリップ 経験したことありませんか?

浦島太郎は 竜宮場で一週間程を過ごしたはず でした
毎日 宴会をして 綺麗なおねいちゃん達のお尻を追いかけて
一週間も経っただろうから そろそろ 帰ろうかと・・・

ところが 一週間のはずが 戻ってみると 百年経っていました。
友人の家を尋ね歩きますが その人はわたしのおじいちゃんで とっくに無くなっています、と言われてしまいます。
途方にくれて 玉手箱をあけると 煙が出てきて あっという間に
白髪の老人になってしまいました。

・・・あの 玉手箱には 一体何が入っていたんでしょう?

あの箱は、特別な魔法の箱なんかではありません。 箱の中に入っていたものは・・・(続く)

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いろいろなご感想をメールで頂いていて、励みになっています。ありがとうございます。
頂いた多くのメールには、「自分は掲示板に書く勇気がないのですが、楽しみに読んでいます」と書かれています。

勇気がないことこそ やったら エネルギーがどんどん入ってくるんですよ
何でもいいから「あ、これやってみよう」と思ったことは、躊躇せずにやってみる・・・

結論を持ってやっているわけじゃないし、どんな展開になるかはわからないけれど 結果なんてわからないけれど、やってみる...

時は”今”。 こんな時ですから、悪くおさまるはずがない、、、

そう信じて一歩前へ踏み出す  一方踏み出すって 大変面白いですよ!

それは 動かない限り 来ません...

さあ 一歩!^▽^ノ

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浦島太郎の時間(続き) 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 8月26日(日)23時27分52秒    編集済
玉手箱の中に入っていたもの・・・

それは、カレンダーと太郎の履歴でした。。

カレンダーを見て、年月はこのように流れるものだと認識して、自分はかくかくしかじかの経緯を経て、20才の時 竜宮城へ行き、カレンダーによると100年経ったのだから、今は120才になっているはずである、という認識を受け入れた時、彼はその通りになったのでした。

竜宮城でルンルン気分で、大好きなことに夢中になっている時、太郎は地上のカレンダーとは違う時間を生きていました。

玉手箱など放り捨てて、若々しい心身のままにどこか新しい土地で、新しい人生をやったって良かったんです。でも彼は、周囲の変化に耐えきれなくて、玉手箱を開きました。

乙姫様は「もし、どうにもならなくなって、いよいよ窮した時には、この箱を開けなさい」と言って玉手箱を渡したという話もありますが、、、乙姫は人間のこうした弱さを知っていたんでしょう、、、


もし”今”の奇跡に乗ろうとするならば、時計は持たないほうがいいかもしれません。。。ルンルン気分で過ごしつつ、時間の認識が固定されなければ、あっと驚くようなことが起きてくるかもしれません。。。

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富山 離散化機セミナーのDVD GOサインを頂きましたので、皆様にお届けできるよう、9月発売を目標に準備に励んでおります。峯生先生のご研究は順調に進んでいらっしゃるとのことですが、それを扱うには、やはり相応の精神性が伴っているかが鍵となってくるそうです。

離散化のエネルギーを扱う人々の想念がますます重要になってくる状況にあって、想念観察の上級編まで記す時期が来ているようです。。そんな折、峯 生先生のお勧めもありまして、こちらのHPでは想念観察の初級、中級に加えて、上級編の情報も織りまぜて、紹介してまいりたいと存じます。

皆様とともに、あるがまま なるがままの 悟りの域までの想念観察編を紡ぎ上げて、まずはこの掲示板に記せればと思っておりますので、ご支援ご協力のほどお願いいたします。
体験談や気づきのご紹介など、大歓迎です。ご質問は、分かる範囲でお答えできればと思います。もちろん世間話も薄め話も織り交ぜて、お気軽にどうぞ〜

。。ということで、今まで通り、、、少しずつですが、進めてまいりますので、、、どうぞよろしく。。

−人の行く 他に道あり 花の道− *想念観察 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 8月29日(水)22時48分58秒    編集済
自分の人生を 左右するほどの エネルギーを持った人は いない
全て 自分の人生
あいつさえいなければ・・・そんな人 いない
自分の人生を 狂わせるような人は いない!

こんな面白い人生はないと それをわかるのは 自分の責任
あなたの人生は 今のあなたの想いを 表現している

今が 100点満点であると 知ること
そこで起きてくることは・・・10倍・・・100倍かもしれない・・
それが どれ程であるか そんなこと 誰も知っていない

道が一本しかないのだったら こんなに大勢の人はいらない
人の数だけ 道がある
この世でたった一人 かけがえのない 自分の道
どうであっても
人は 自分の道を 踏み外すようなことはない


  人の行く 他に道あり 花の道


諦めてはいけないと 人は言うけれど、求めて求めて、、、、
諦めた時に わかるのさ
諦めていない自分がいるのに 気がつくのさ

夢は みな捨てた でも
夢の中にいる 自分に気づく

底の底を這いずり回った時
目の前に 割れ目があって
光が見えてくる
そこから 光の国へ 行ける

泣いて 泣いて 泣くのさ
すると 大笑いがある

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悟る為に 山にこもると
年月とともに 一瞬の光をみることがあって
それを 悟りととって 山を下りて
皆にこの話を伝えようとすると 欲が出てくる

悟りは 下界でやることに 意味がある
都会には 自然がないと 人はいうけれど
都会には 人間という自然が いっぱいある

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音と音の間 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 9月 3日(月)19時58分49秒    編集済
昨日は事務局長さん主催の音楽会に参加してまいりました(詳細はミクシィの事務局長さんのブログでご覧になれます)。
音の余韻や音と音の間を大切に味わうため、演奏後の拍手は一切無しということでプログラムは進められていきました。古代では、演奏者は通り道にす ぎないので、演奏者に対して拍手をすることはなくて、音がとぎれたあとに聴き手に起きてくるプロセスを大切にしていたんだそうです。確かに、、、こうする と、ゆっくりと細やかなところまで味わえるものなんですね。

会場となった与野健康プラザも素敵な空間でした。もとは畑で、縄文、弥生、平安時代に祭祀が行われていた場所だったため、遺跡がごろごろ出土した 土地柄で、その気場を活かして気エネルギー関連のリラクゼーションスペースなどのビルを建築したんだそうです。4Fには富士山の溶岩でできた洞窟もあって ここがなかなからしいですよ。
もちろん、事務局長さん作曲の音楽もとっても素敵でしたよ!特に2曲目ははっとするほどの印象がありました。

☆今朝、トイレの天井から原因不明の水漏れが起きて、雨のようにざあざあ降ってくるので、どこから湧いてきたのか原因を探ろうと、天井の羽目板を 上げて、天井裏を覗いてみました。天井裏を見るのは初めてで、何が飛び出すのやら恐々だったんですが、恐いものから目をそらしてはならない、と自分に言い きかせて、中をじっくり見回しました。

見慣れない電気コードやら大きな管やらがありました。天井板をあちこち触ってみてもどこも濡れていないし、この水がどこから出てきたのか原因はわ からないままです。なんとなく、屋根裏の空間を構成している壁や管や闇の空間たちに声をかけたくなって、心の中で「いつもありがとう、どうぞよろしく」と 挨拶しながら愛のエネルギーを送って、天井裏にスピリットカードを設置して様子をみました。数分後に戻ってみると、あれほど湧いていた水がぴったり止まっ ています。
それ以後、トイレの場の雰囲気が今まで以上に明るくエネルギー漲る感じに変わっていて、、、一体何だったんでしょう。エントロピーの逆転が起きたんでしょうか。。
体験する現実と想念と常識の整合性について・・・これもひとつの想念観察(※追記2) 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 9月 4日(火)11時41分57秒    編集済
皆様こんにちは。
水漏れ話の詳細は省きますが、その前後に起きたこと等から、これは想念と直結していて、私は自分の恐怖心が水漏れという現実を引き起こした、と受け取っています。
常識からすると、そんなばかなと思いたくもなりますが、この辺りは本人にしかわからないところですが、そうとった方がすんなりするものがあります。

・・・さて、私の話に対して、皆様はいろいろと納得や説明のつくように、思考をめぐらされることもあるでしょうが、どうぞお好きなように受け取ってください。
説明をつけようとすればどれだけでもつくでしょうし、そうしたくなるのもごもっともだと思います。

コメントをいただき活気を得ましたこの機会を活かし、私なりに掲題の考察を進めて参ります。なお、集中の波に乗ると、今後お返事をしないことも増えると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

さあて、では、どんどん行きますよ〜!

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ものを現実にする形として、これまで私たちが一番使ってきたのは、、恐れです。
恐怖の方に時間やエネルギーを使ってきました。だから、不運の方が先に起きるんです。そのことにたくさん時間とエネルギーを使っているから...

※恐怖を想う時、あたかも目の前にそのことが起こっているように、深く正確に想ってしまうでしょ。これなんですよ。。

今までもそうしてきたんでしょうが、今後、想ったことが実現しやすくなってくると、これはエライコッチャです。
心配や恐怖などに使って、エネルギーをだだ漏れにしている場合ではありません。

何かいつもと違う、理屈のつかない体験をした時、大抵の人はなんとか説明をつけたくなります。わからないままというのは恐いので、説明をつけて納得して安心しようとします。

常識と自分の体験と、どっちを許容するかは、その人の選択ですが、脳は必死になって、過去の連続性を維持しようとするのですから、こんなことあり得ないという理論をきいたら、否定する方に余計に力が入って、自分としても勘違いかな、と思うようになってきます。
独自の体験からくるものを見逃さないのは、常識と鑑みつつ、ふるいにかけつつ、いや違う・・・とやるかどうかが分かれ目です。

誰かが自分の体験談を他人に伝えた時、聞いた人は受け取りやすいように、その人の一筋縄で解釈しようとします。

自分で感じていることを、相手の言うことに合わせてみようとしても、なかなか整合性はとれません。

※その人の体験したことなど、他人には誰もわからないし、整合性なんて何もないんです。ペーパー試験の○×のように採点できることなんて、教科書の上にしかありません。

私たちは、現実にいる世界が統一性をもった場であってもらいたい、という願いのもとにやってきました。

でも、そんなもの、もうしんどい ・・という・・・発展的な現実が
始まってきてもいいのではないでしょうか・・

※それぞれの周波数がかけ離れてくると、すれ違っても目に入らない、気づかないということが起こってくるでしょう。周波数の高い側からは見えてはいるんですが、相手に見えていないから、あれあれ、と無視されたような感じですれ違ってしまうでしょう。

※ こうなってくると 二極分化が始まってくるんですかねえ。。

わたしたちは、ものごとをはっきり線を引いてしまいたいと、議論をしてきました。
大変細かい事項までの取り決めをして、契約書を交わしてきました。
それは、恐れを原動力として安心したいというあらわれでもありました。

人は自分の現実を信じて、だから、多種多様な病があります。
腹痛を例にとってみると、
山村に住んでいる人、漁村住んでいる人、都会に住んでいる人、とか
どんな思いをしているのか、どんな体型をしているのか、で
人によって腹痛も違います。 でも医学は、同じ引き出しから薬を出すのでしょうか。

体の悪い部位は切ったら、悪いところはもうありませんから、と言われて安心します。
わからないことは恐いから、説明をつけて納得したいんです。

わからないことなんて、山ほどあります。恐れを解消しようとして、世の中は回っているのですから、それでもいいんです。でも、わからなくてもいいじゃないですか・・・(笑)

※ ・・・でも、自分の興味については 目を離さないで・・・


今自分は病気であるのに、100点満点だという、、、それは何故でしょう?*想念観察シリーズ 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 9月 8日(土)22時37分48秒    編集済
ご質問のメールの内容について、このように受け取ってお返事を書いてみました:

今自分は病気であるのに、100点満点だという、、、それは何故でしょう?

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物質を持った動的調和のこの宇宙では、陰と陽、善と悪、のように相対するものが回りあってエネルギーを生じてきました。
悔しい目や苦しい体験に遭遇して、悔しがって奮い立つことで、新たな流れをつくり、その渦がまた次の物語へと流転していきます。

苦しみ、失敗、損失、支配、争い・・・それらドラマのうねりは、この宇宙の原動力になっていて、あってはならないと否定してきた物事のすべては、あなたが新たなステージへと奮い立つのに必要な出来事ではなかったでしょうか。。。

過去を否定し、抵抗している限り、そのドラマの渦(パターン)に居続けることになります。

私たちは、ある段階が完了したら、また次の段階の完了へと進んで行きます。
例えば、他からの評価が気になり、誰かの後ろに隠れていて、他に褒めてもらわないと自信が持てない依存的な段階が終わると、自分で前に立とうという、自立の段階へ進み、さらには、相対的ではなく絶対的自己評価の段階へと進んでいきます。

そのどの段階であっても、何が起きようが、どんな状態であったとしても、それは変わり続ける世界の一コマにすぎません。私たちはただ、その一コマをやっているだけです。
バケツの水は空っぽにならないと、新しい水を入れることができません。

物質が存在しています。生命を持って存在しています。
この、存在していること自体が100点満点です。
99.9点では存在しない。有り得ないのです。

病気という状態で隔離され、意気消沈している人は、心理的にも肉体的にも大変不安定な状態だと思うんです。皆さん、想像されて下さい。この状態 で、にもかかわらず100点満点だということを知り得たとしたら、さてさて、それは、、、想念の激変、、、に値するのではないでしょうか。。

転変地異とでも申しましょうか、、、これが面白いのです!
病気に限らず、これを体験されることは、今まで信じてきたものが、すべて吹き飛んでしまうくらいの衝撃でしょう、、、これは、想念観察の醍醐味のひとつではないでしょうか。。


^−^ 想念観察 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年 9月30日(日)11時56分3秒    編集済
自分をよくよく観察すること
外を観る時も、自分の細胞を写して外に語らせていると、知っていること
外で満たす代わりに 外に振り回される代わりに
自分に何が必要なのかを知ること

これが始まりで 常に立ち返る基本です
ゆるぎない決心と洞察でもって観察すれば、何が自分を豊かにしているのか
自分が本当に必要としているものを 見つけることができます

人は自分の安心できない隙間を、満たされない隙間を、お金や名誉、成功など、外の現象で埋めようとがんばりますが
どこまでいっても 何を手に入れても埋まらないとわかった時
自分には(自分・・・狭義にも、広義にもいえますが・・・)何が必要であるのか 焦点を絞って見定めるようになります

想念観察を続けていくと 現象的には 軽くなったり重くなったり
行きつ戻りつするので すべては無駄だと思える時も訪れるものですが
奇跡の扉は開けるものだと 知っていること 投げ出さないで続けること
あんな事もあり そんな事もあり こんな時だって あるんですもの

○○ さん 一定の時刻に毎日やるのもいいですね

続けるって限界の扉が開きますから・・・

電車など 大勢の人がいる場所では いらいらや 重苦しさなど 自分が発しているわけでないものを受けている場合もありますが 周波数が同調しなければ受けることはありませんので、広い意味では これも自分の世界といえます

なぜ 硬いアスファルトをつき破って、小さな草の芽が出てくるのでしょう?
別別のものとして観るならば、ありえないことに思えますが
すべてが波動であり、ひと連なりの情報である ということを知れば
不思議でも何でもないのだと わかります


さて、今日の東京は雨 よく降っていて これもまた いいものです
そしてまた 雨の日も 真っ暗な夜だって 太陽は輝いていますよね。。
、、、この雲の上に、、この地球の上に。。。
ひとつ違えば 大違い *想念観察 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年10月 2日(火)16時18分44秒    編集済
人は ”自分本位“ の時、本来の力を発揮します。

では...”自分本位“ とは どういうことでしょう?

これは 思い込みや自分本位主義 とは違います
思い込みとは... 自分の予定通り、計画通り ということ
自分本位主義とは... 自我100パーセント 我欲100パーセント ということですが、、、


”自分本位“ということは、“主体が自分である” ということです。

”主体が 自分である” には、外の重要性を知っていなくてはなりません。

外と自分の関係を、知っていなくてはならないんです。


  100人いれば、自分はその内の 100分の1です
  1000人いれば、自分はその内の 1000分の1です

・・・でも 自分がいなくては始まりません。。。

外(あるいは 他)のありがたさを知ってこその”自分本位“ です。。


かつて、自他ともに宗教家と認める人と話をしたことがあります
主体性について触れた時に、自分本位主義と勘違いされて、
「だったら何をしてもいいんですね」「人に迷惑をかけようが、構わないんですね」
と言われたことがあります。こんな人でもこのようにとるのか、と驚いたことがありました

ひとつ言葉って、ひとつ違えば大違い・・

大変 気をつけているところなんですよ。。。

(続く)


自分本位 その2 *想念観察 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年10月 3日(水)19時30分18秒    編集済
外と自分の関係について、もう少し具体的に触れてみます

例えば、自分が掲示板やブログに書き込みを続けていて、
もし他からの反応の有無で一喜一憂するとしたら、それは、自分を認めてもらいたいという、外で安心の隙間を埋めたい気持ちがあるからでしょう。。。

でも、たとえ反応がなくても、感想やコメントが入らなくても、自分の意思に従って続けていくことこそが、自分を裏切らない、自分を大切にすることだと思っています

こんなことを ご存知でしょうか・・・
たとえ他の方から書き込んでもらえなくても、100人の無言の人(見るだけの人)がいるよりは、500人の見るだけの人がいた方が、その分、書き 手は自分でも驚くほど素晴らしい文章が書けるんだということを・・・それは、500人のそれぞれの想いが、書き手と繋がるからなんです 皆、お互いに支えあっているんですよ、、、そのことを 知っているかどうか です。。

さて、別の例を挙げてみます。

オリンピックという世界最高の舞台で、世界最高の演技を観る為に集まった、
多くの意識。
1. オリンピックという舞台、2. 観客 3.選手

世界最高というふたつ(1と2)が揃ったのですから、舞台としては100点満点の舞台がもう整いました。あとは、役者(選手)が自分のすべてを表現し、出し切ればいいだけです。
1と2のエネルギーが、後押ししてくれるんです。
そして、世界最高の演技と絶賛と舞台が三位三体になるんです。
それぞれが100点満点なんです。

ところが、役者は前日から調子が悪かったので慎重になり、最高を挑戦することなく2番手の演技をやってしまいました。全く舞台には合わないエネルギー状態だったのです。

すると、選手は転んでしまいました。
いつも失敗したことのない演目だったのですが、これでは転んでしまっても、当然のことですよね。。。

一方、いくら小さな大会で、観客も適当な気持ちで集まっていたとしても、
役者(選手)が常に自分の最高をやるんだ、という決意をもってしたならば、
どんな条件でも最高は出せるんです。

これは、人生に対する情熱・・・前向きというんですかねえ・・・常にこうありたいものです。。

(続く)

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足りないものは 何もない  投稿者:はなな なな 投稿日:2007年10月 4日(木)22時29分33秒    編集済
これは・・・昨日の続き(その3)ではありません ちょっと寄り道したくなりました

久々にDVD「ブラザー・サン シスター・ムーン」を観ましてね、、、そう、聖サンフランチェスコの映画です、、、いやぁ、やっぱりとてもいいです、、、あの絶対平和主義者の純粋なまなざしと子供のような笑顔と、力みのない物腰に、すっかり心洗われてしまいました、、、
主題歌がまたいいですねぇ。。。 何度も観ていると、これまで見落としていたシーンなどにも気がついて、観るたびに発見があります

。。。この映画を観て、あらためてこんなことを思いました、、、

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「足りないものは 何もない *想念観察」

足りないものは 何もない

みんな 足りている  すべてある

いいこと 楽しいことが いっぱいある

Yes !Yes! Yes ! そうです そうなんです


・・・過去の連続性というか、習慣性というか、私たちは暇があると、少しの不安でもあれば、どんどんその不安を膨らます方にしか、考えてきませんでした。

仕事のこと、人間関係のこと、お金のこと、健康のこと、、、貯金や、保険をかけないと安心できないのも、その表れの一側面でしょう、、、

いてもたってもいられないという、あたかも目の前に現実に、その不安が起きているかのように膨らませて、どん底にはまりこんでしまいます。


この習慣を断ち切りましょう!!

時間があると、思わず習慣的に悪い想念って出てしまいそうですけど、
もう今は、悪い想念が出だしたら、すぐに止めて、発想の大転換をするには
とても良い時期であると思います。

不安を探っている自分に 気づいた時がチャンスです

これぞ 発想の大転換ーー!!!
これは、決断した時と同じエネルギーなんですねーー

これは イケますよーーー!!
自分本位 その3 * 想念観察 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年10月 5日(金)19時29分45秒    編集済
最高の場と観客ならば、役者は大変、楽(らく)です。後押ししてもらえるんですから。
すると、役者は今までできなかったことまで、できてしまうんです。

テレビの生中継(スポーツの試合や唄番組など)では、お茶の間で観ている人の声援は聞こえないけれども、エネルギーが現場に届いています。
そのエネルギーは、選手をバックアップするだけでなく、審判までもがそれに影響されるんです。
皆、お互いに じつに支えあっているんですよ!

想像してみてください、、あなたは喫茶店で通りを観ながらお茶を飲んでいるとしましょう。。
喫茶店の店員、隣の席の人、テーブル、椅子、街路樹、通りを行く人 ・・・椅子に座っている自分を含め、これらすべてが自分の環境です。。。

これらのどれかひとつでも欠けたなら、この環境は成立しません
(別の環境があらわれます)

でも、、、そもそも、環境を観ている「自分」がいなければ、
どんな環境も成立しません。。

自分は環境のひとつである と同時に、その環境の100パーセントなんです。。


・・・・つまりは、環境という、ひとつの「景色」なんです

。。。その中のひとつなんですよ、そして環境という「景色」の中にいるのです。。


景色という全体を 観ている自分と、、現実に自分の目を通して 観ている自分が、、
います。

景色を織り成す全てが存在して、自分が存在している。。

だから、、、、「他」が大切なんです。。


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信頼を取り戻すー高値 安定へー *想念観察 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年10月 7日(日)22時46分40秒    編集済
自分が最も恐れていることが、表面化しそうな時
それが その人にとって 限界であればあるほど
これが駄目なら もう死ぬしかない・・・
と極端な選択肢しか 思い浮かばないかもしれません

どうしようもなく恐い状態です。。。それでは、しがみついている藁から
手を放すことなんて、できそうにありませんね、、、
藁が無くなったら、、気が動転して、おかしくなってしまいそうですよね。。

でも、、、実は、、、どんな状況であっても、、、
思ってもみない 選択肢は、、、たくさんあるんです!

その時には 絶対無理と思っていても
周波数が上がれば 上がるほど 思ってもみない展開 出会い 面白いことが
どんどん 起きてくるんです

自分の限界から目をそらして、慣れ親しんだ過去の世界に逃げ込んでいると
同じ苦しみを 何度も味わうんです

この世に生まれてくる人は皆 幸せなんか願って 此処に来ているのではありません

リスクを背負わないで 生きていて 何が面白いんでしょう
失敗を恐れ、やってみたことのないことを やらないで
何が 嬉しいんでしょう。。。

過去へはもう逃げ込まないと、、、
過去の論理にどっぷりつかって、幸不幸のジェットコースターに上った、下りたと
騒いでいる代わりに、自分は 何を恐れているのか、何を信じていないのか、
今まで何をしてこなかったのか、、、
腹をくくって見据えてみると 覆われていたベールがはがれるように
新しい世界が 開けてきます。。。

全存在を賭けるのは、ここ一番 最も
勇気のいることに 直面した時では ないでしょうか。。。

苦しい時こそ チャンスです

ぬるま湯につかったままの人は 果たして 気づいて動けるかどうか・・・


肉体を持ったまま 限りない 信頼と自信を 取り戻すこと
ここが たいへん安全で 安心なところだと よくよく知ること

、、、わかった時の 歓びといったら、、、、、〜!!!

   、、、自由って これのことでは ないでしょうか。。。

     、、、せっかく生まれてきて、、、これを、、知らないままで、、、いいんでしょうか。。。
思い通りの現実 と 望み通りの現実 のギャップをなくする その1 * 想念観察 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年10月25日(木)12時31分41秒    編集済
人間は動くエネルギー発生体です

私たちは自分のつくったエネルギーで、自分の現実を創ってきました。思い通りにつくってきたんです。。
でも、振り返ってみると、、、それは望み通りの現実ではありませんでした。。

それでも、、、自分が想像した通りの現実を創ってきたんですよねぇ。。

“小人閑居して不善を成す”の諺通り、少しでも暇があれば恐怖心と不安にかられて、よくないことを想像し、悪いほう、悪い方へと どんどん落ち込んでいくんですよねぇ。。。

そして、自分のエネルギーを使って、怒り、疑い、争い、蔑み、競い合い、
そしてエネルギーの奪い合い等々の現実をつくってしまったんですよね。。。

でもそれは、自分が想像したとおりの現実を目にしてきたのであって、
まさにこれを創ってきたんですよねえ。。。


思い通りの現実だったんです。


でも「こんな現実を私は望んでいない」と、そのギャップにも怒り、
嘆いてきたんですよねぇ。。

でも今、自分のエネルギーを利用して、過去の現実は自分が創ってきたんだということを知りました。

ならば、考えることがあります。そして、やることがあります。

自分の思考を大転換して、望どおりの現実を造る為に自分のエネルギーを使おう、、、と。。

これまでのやり方が癖になっているので、これを実行するには大決心が必要になりますが、それこそ大転換ですね!

(続く)
思い通りの現実 と 望み通りの現実 のギャップをなくする その2 * 想念観察 投稿者:はなな なな 投稿日:2007年10月27日(土)08時56分45秒    編集済
いかにエネルギーを自分の外へ漏らさないでいるか、、、これが決め手になってくるんです。

その状態にあればあるほど、恐怖、不安・・・などそんなものが存在しないということが、どんどん理解できてくると思います。

外にエネルギーを漏らさずに、落ち着いて観てみると、”洗心”で紹介されている常の心;
「強く 明るく 正しく 我を折り 宜しからぬ欲を捨て 皆仲良く和合して 感謝の生活をなす」は自分の内であり、

エゴの心;「嫉み(ねたみ) 憎しみ 羨む(うらやむ) 嫉む(そねむ) 呪い 怒り 不平不満 疑い 迷い 心配 咎めの心(とがめのこころ) いらいらする心 せかせかする心」はすべて外のことではなかったでしょうか、、、そんなものは幻であると。。

自分のエネルギーを心配や不安に使うと、エネルギーがだだ漏れになってきます。
これにこそエネルギーを漏らさなければ万全なんです。

このように、自分の思考を大転換する・・・この時にこそ使うんです。

想念観察です。再び今、自分は何をしているのか気がづくべきです。

何を考えて、何をどのように感じているのでしょうか・・・

過去にも同じ事を言ったことがありますけど、でも同じではないんです。
あの時と今では、あなた自身の周波数がもう違うんです、ずい分進んでいるんですよ。。。

これが想念観察の面白いところで、言葉が同じでも、意味合いが違うんです。
同じ事を観察しても、洞察が深まり、切り替えがどんどん早く上手になっている自分にお気づきください。。

それが、周波数の違いなんですよね、、、


(続く)
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       えり

はななさんのHP
http://www17.ocn.ne.jp/~stillife/

想念観察ノート
pdfで22ページ分。

想念観察シリーズ
ブログ形式ではじまりました。

こちらに転記する必要がなくなるかな〜。
参考にどうぞ